印西市の輝かしい歴史

暗黒時代

1967年、印旛郡印西町で千葉ニュータウンの開発が始まる。まったく何もなかった密林地帯を切り開き、人口30万人の街を作る構想が持ち上げる。北総鉄道を白井町から段階的に開通させ、現在の印西牧の原まで延線、開通させる。微妙な発展の兆しを見せるも、1991年にバブル経済崩壊に遭遇する。

希望の光が失われた時代

千葉ニュータウンから多くの商業施設が撤退、開発も鈍化、長らく造成地が放置される時が続く。一方で、成田線沿線では、各地でマッドネスな町内会が地域社会を支配、DQN高校生が徒党を組んで街を闊歩して蹂躙する等、世紀末救世主伝説状態となっていた。

この時代における印西町のテーマ曲を選ぶとしたら、KODOMO BANDのSILENT SURVIVORがピッタリだろう。すべての希望の光が失われた…まさに暗闇の時代である。現在の印西市のように道路も整備されておらず、バス路線もなく、車がないと本気で死ぬ時代だった。

西インド時代前期(黎明時代)

1996年、印西町が市制に移行して印西市となる。半ば騙されるように北総開拓団に参加させられ、千葉ニュータウンに移住して来た人々のおかげで、市制移行の基準を満たし印西市が爆誕する。しかし、そう悪いことばかりでもなかった。印西市にイオンモールができたり、ジョイフル本田がやって来たことで、街は急激に発展し始める。

陸の孤島から首都圏の一大貿易拠点へ

この時代にBIGHOPガーデンモール印西も開業、当時は大観覧車そらっぱより高い建物はなかった。いや、現在でもないと思う。気がつくと千葉ニュータウンは首都圏屈指の大商業ゾーンに発展、印西市内で買えないものはないと言われるくらい、ショッピングモールやホームセンター、各種の有名企業の店舗が軒を連ねる。

急激に勢いづいた印西市は、周辺の村々を侵略併合して面積を広げる。さらに、北総地域における県立高校の統廃合を進めるよう関係各所に圧力をかけ、千葉ニュータウンに印旛明誠高校を開学させる。結果、印西市内からDQN工房が根絶した。同時期に、成田スカイアクセスも開通して、印西市と成田空港が鉄道で結ばれる。

住みよさ日本一の街として全国の自治体の頂点に君臨

周辺自治体との道路網も整備され始め、もはや陸の孤島ではなくなる。ネット上では西インドとバカにされ続けるも、千葉ニュータウンは首都圏屈指のベットタウンとしても着実に発展を遂げた。この時代における印西市のテーマ曲を選ぶとしたら、TOM★CATのTOUGH BOYが相応しいだろう。

2011年には、あの東日本大震災が印西市を襲った。市内では震度6弱を観測するも、強固な下総台地に守られ、大きな被害もなく災害に強い街である事が証明された。そして遂に、2012年、東洋経済住みよさランキングで日本一の王座を射止める。印西市が日本一住みよい街と言うことになる。

西インド時代後期(黄金時代)

東洋経済住みよさランキング日本一の王座に七年連続輝いた2018年までの時代。アベノミクスによる経済効果もあり、印西市はさらに大きく発展を遂げる。もはや、暗黒時代の印西町を覚えている者は少なく、全国から多くの人が千葉ニュータウンに移り住んだ。だが、しかし…

栄華を極めし者たちの末路

住みよさランキングに対する疑惑と疑問の声はあったものの、多くの印西市民がこれを喜び、歓迎した。市制移行20周年念となる2016年には、各種の記念行事が市内で執り行われた。しかし、最後の締めとなる「市制移行20周年だよ全員集合!!印西花火大会」が直前になり開催中止になる等のトラブルが発生した。

日本一の王座であぐらをかきはじめた印西市。傲慢と慢心、急激な都市化による悪影響から、もろもろの問題も発生、徐々に暗い影を落とし始めていた。それまでの印西では到底想像にすら及ばなかった凶悪な事件も発生。印西市のこうした負の側面も、全国のお茶の間に広く知れ渡る事となる。

ニュータウンの死角と前途のなかったインド化作戦

それでも、印西市へ移り住む人が後を絶たず、2018年には人口が10万人を突破した。翌年に大敗を期す出来事が待ち受けてると知らず、 市内は戦勝祝賀ムードに包まれた。この時代における印西市のテーマ曲を選ぶとしたら、住みよさ日本一の裏に隠された真実!?と言った感じに、実は火曜サスペンス劇場のオープニング曲がピッタリ。

一方で、全国に向けた宣伝、まちおこしの目的からインド風PR動画を作成、公開する。意外や大ブレイクし、国際的な短編映画祭にもノミネートされる等、一定の成果を上げた。まさに、印西市の絶頂期だったと言えよう。多くの市民が、2019年の住みよさランキングも、印西市が日本一であることを信じて疑わないでいた。

インザイール時代

2019年、東洋経済住みよさランキングで14位まで急落、多くの市民がその事実を受け入れられず放心する。ライバルにして盟友の愛知県長久手市の轟沈には恐怖すら覚えた者がいた。同時に「真の住みよさとは何か?」なる文化運動・精神革命が開花。インドと印西を融合させた文化的価値観からの脱却と進化の模索が始まる。

関連リンク

以前のバージョンは以下。

削除せず記念に残しておきます(´・ω・`)

by 印西太郎

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※たまに真偽のほどが疑わしい内容の記事も書きます。あまり間に受けないで下さい。
印西市の小学校ではインド式計算法を算数の授業で習うらしい(´・ω・`)