まるで別人のように生まれ変わった千葉県印西市―
人の一生で例えれば…パラリラ♪パラリラ♪ブンブン♪ブブブン♪パラパパラパパパラパパパ♪(ゴットファーザのあの曲)なんて事をやっていたような悪ガキが、大人になったら立派な警察官に成長していたようなものです。しかも、階級は警視です。警部じゃなくて、さらにその上の警視です。
同窓会とかでよくある「ええ~~~~!!アイツが~~~~!!」なんて次元じゃありません。
全員が卒倒するレベルです。
担任だった先生もそれまでの教師人生を完全否定
されたも同然の心境になるのは間違いないでしょう。生徒指導の方針は一転して、翌週のホームルームから、生徒の前で神の存在について語り出し始めるかもしれません。ドラゴンボールで例えれば…いや、やめておきましょう。とにかく、印西市が劇的に変わった事実は、もう十分にご理解頂けているものと思います。
そこで今回は、どうして印西市は生まれ変わる事ができたのか?と言う原因解明的な視点に立ち、表面的な疑惑や疑念にとらわれず、ガンガン深堀をして解明して行きたいと思います。それはきっと、印西市以外の他の市町村の町おこし活動にも役立つノウハウとなるでしょう。
まず、原因のひとつとして…
世の経済情勢と絶妙にマッチして印西市の住民構成が大幅に変わった
点が大きいと言えるでしょう。
今でこそ、県下最低水準の失業率と圧倒する求人数で繁栄を誇っている印西市ですが、暗黒時代における印西町の雇用は決して良くありませんでした。なので、成田線でやんちゃしていた人は、あんな田舎に戻るもんかと言わんばかりに、進学や就職のため外へ出てしまい…
多くは二度と印西に戻って来る事はありませんでした
直後、18歳人口は急激に減り始め、成田線からDQN工房は根絶しました。
これと合わせるかのように千葉ニューの開発が本格化、市制移行へ向けて印西町は前に歩み出します。途中、バブル経済崩壊による危機にも見舞われましたが、北は北海道から南は九州・沖縄までと、全国から多くの平均以上のものを持ったそこそこの方々が集まり…
印西市の住民層のカラーが大逆転・大変動
し始めます。住む人が変われば当然として雰囲気的なものも変わります。成田線沿線も千葉ニュータウンほどではないものの、首都圏の新興住宅地としての開発は行われましたので、北総線沿線のみならず成田線沿線の住民もある程度入れ替わり、カラーもだいぶ変わりました。
今じゃ落ち着いた感じのする平和なローカル線です。ぜひ、一度は乗りに来て下さい。
来ないかorz
第二に、都心と成田空港の中間地点にあり…
国家戦略的な開発事業を展開するには最適な候補地
として、選ばれやすかったのではないかと考えております。
都心と成田空港を結ぶ高速鉄道の建設構想もあったくらいで、千葉ニュータウンに新幹線の駅が設けられる予定でした。新幹線開通の計画はポシャり、代わりに北総鉄道の開通に至りますが…下総台地の地盤が強固で災害に無茶苦茶強いと言う観点から、現在の千葉ニューには民間企業を中心とした重要な施設がたくさん建設されています。
この点は他の記事でさんざん書いた事ですので、これ以上言うに及ばないでしょう。
ぶっちゃけ、本当に何もない首都圏の真空地帯、未開の秘境に近い場所だったから、好き勝手放題に手がつけやすそうなんて、ゼネコンをはじめ国のお偉い人の思惑もあったかと思います。
今後は、白井市とは住宅インフラ面で、成田市とは医療・災害対策面で連携を強め、印西市は北総地域の中核都市として発展を続ける事でしょう。